こんにちは。歌っていますか??
歌に込められたメッセージをすごく感じることってありますよね。特に合唱はテーマが壮大なものが多く、音楽的な側面以外でもとても勉強になると感じることが多々あります。
最近私が触れた曲の中でも考えるきっかけを与えてくれた曲があるのでそこについてうっす~~く書こうかな~なんて久々にブログチックなものをしようかと思った次第です。(もともとこのホームページブログ用として開設したんだけどね!)
人の目が見ていなくても風景はあるものだろうか
「ティオの夜の旅」のローラ・ビーチからの一節。
これ最初聴いたときゼルダの伝説の夢をみる島を思い出しました。なんといいますか、いきなり書けない、、
自然の壮大さ、不変さ、人間なんていてもいなくても自然は自然で風景として存在するんだなぁとか、、
ちなみにローラビーチというところはマーシャル諸島にあるらしいです。いつか行ってみたい。
なみかんたい りんり もろうふ ける げんけ しらすてえる。
「青いメッセージ」のごびらっふの独白からの一節。
こちら、蛙語の詩で、日本語に訳すと『みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し。』という意味になります。
この曲は詩のすべてに渡って紹介したいのですがそれは厳しいので、、
年々人は皆孤独だと感じていて、でも孤独だからこそ他の人の孤独と通じ合ったときの喜びがあります。
とてもちっぽけだけど人と通じ合えた喜びで幸せ!で良いはずなのにって思います。
生きていると思っているのは実は夢かもしれない
夢の意味からの一節。
元の詩はすべてひらがなで表記されています。
生きるの意味って何でしょう?みたいな質問、疑問はよく聞くし生まれると思います。
実際自分で考えることもありました。
生きる中でいろいろなことに悩み喜び、事あるごとにたくさんのイベントがあって、でもこの曲では『実は夢かもしれない』と言っているのです。
この人生という夢が覚めたときどうなってしまうのだろうか、夢であるなら人生で喜怒哀楽することに意味はあるのか、、
ここで突然ですが、最近ハマっている学説を紹介したいと思います。
『シミュレーション仮説』というもので、この世は大きなコンピュータによるシミュレーションにすぎないというものです。
簡単に言うとこの世界すべてが誰かが作り出したヴァーチャルリアリティの中かもしれないという説です。
突拍子もない話みたいに聞こえますが、観測できるものに上限があったり(速度は光が一番早い、物質は原子以下を観測できない等)、すべての事柄を数字で表すことができたり。これはコンピューターの処理能力の問題で無限に限りなく近づけることはできても無限を設定することができないから、という事が考えられています。
コンピューターの処理能力の話だと、自分自身が観測していないもの以外の物質は処理を軽くするために動きを制限しているというものもあります。
これは2スリット実験やシュレーディンガーの猫などで調べてもらえばいろいろ出てくると思うのですが、まあ興味があったら調べてみてください、面白いので。
まあともかく、この世界が誰かの夢だったり、本当は存在しなかったり、コンピューターの中の世界だったとしてもですね、結局の所いろいろとうまくいかないことがあって苦しんだり思い悩んだり、いいことがあって喜んだり全部、全ては自分の行動によって変わるし全て自分に返ってくることなので、この世界が実在しなかったとしても自分は自分なりに好きなように頑張ればいいのかな~と思いながら生きている今日このごろであります。
最近あまり悩まない正確になりつつあるのでもう少し悩みながらいろんなことに挑戦していけたらいいな!では!